手ごたえのあった織のサンプル。
それがすぐにアイリー様に届いた訳ではありません。
アイリー様はご商社経由のお仕事のためダイレクトにつながるのはNGという非常に難しいコネクト。
個人的にサンプル織を安藤刀匠に見ていただきいろいろな角度から山鳥毛の刃文のベストビューポイントのご指導を受けたのが7月末、たしか祇園祭の後祭りの頃だと思います。
修正を加え現行のモデルに近いところまで辿り着いたのがその数日後。
そこから瀬戸内市の観光協会さんに託したものをアイリー宮本社長様のサイドがご覧になり奇跡的にプロジェクトとして動くことになったのです。
8月11日〜スタートする備前長船刀剣博物館の「国宝太刀無銘一文字(山鳥毛)」展示は当然ながら意識してましたが、その期間に発表できるかはまた別。商品化の苦労話はまた次回語らせていただきます。
ここでは琳派について少しお話させていただきたいと思います。本阿弥光悦の本阿弥家は刀剣の鑑定・研磨などで生計を立てていた家業が背景にあります。恥ずかながらこれは刀剣の勉強を始めて初めて知り得たことです。本阿弥光悦や俵屋宗達が創始、尾形光琳が発展させたと言われている町衆の琳派は我々京都の染織、陶芸や日本の芸術・工芸に携わる者が強く意識する作風です。
桃山時代末期から江戸時代初期のデザイン性が高い琳派スタイルに学ぶならばその背景の刀剣まで踏みこんで観るべきと思うようになっていた私にとっては絵画や茶盌だけが琳派芸術の対象になっている片手落ちの状態から一気にこの帯の制作で一つになるはず!と夢想しておりました。
今様琳派のスタイルを目指しているということを伝えたい。
今でこそ広く知られる様になった山鳥毛刃文帯。当初はどのように知られ受け取られるかは未知。
すべてが自分の予想を超え、Twitterを中心に反響を呼びおかげさまで今皆様へ感謝と共に作者の気持ちを語ることが出来ております。
帯制作については、精密な絵画写しを得意とする織元や有名な西陣織の会社が京都には多数あります。なぜか私のところに舞い込んできたお話。
私の主な仕事は染色やデザインです。オリジナル生地の製作も当然ながら行うものの、頼まれる先お間違えになられてるのでは?とオファーいただいたアイリー様にお伝えもしました。ですが、わたくし一択。
私のところにオファーが来たからには友禅でするにせよ織物で考えるにせよ、プリント印刷のような大量生産向けのインクジェット染め等ペラペラのものは作りたくないと思いました。写真をスキャンしての生産は論外。そんな数々のこだわりを持ち磨き上げた刃文の裂地はアイリー様のご尽力で一気に商品化へ舵をきることになりました。
正直なところ、取材、紋型紙などの経費がもはや限界でギリギリ間に合ったというのが本当のところでした。
第6話終わり
令和5年3月21日更新(つづく)